中国では、昭和24年(1949年)10月、中華人民共和国が成立した。毛沢東、周恩来、劉少奇…という時代から、鄧小平の時代、江沢民の時代、胡錦濤の時代を経て、現在、習近平の時代である。
中国でも、中華人民共和国の成立と発展に大きく貢献した人々、子孫に相応の「特権」を与えようという思想があり、この思想をある程度周囲が認めていると思われる。
中国には、上海閥、団派、太子党の3つ派閥があるといわれる。
「中国には、江沢民元主席(86歳)を中心とする「上?閥」(上?勤務経験者及びその一派)、胡錦濤前主席(70歳)を中心とする「団派」(中国共産主義青年団出身者)、習近平主席(59歳)を中心とする「太子党」(革命元老の子弟の「二世議員」)の3つの派閥が存在するといわれる。
上海閥は、江沢民を中心とし、共青団出身の団派は、胡錦濤を中心に、ある程度のまとまりがある。しかし、太子党、紅二代といわれる人々は、特に1つの派閥というほどまとまっていないようである。
この3派閥は厳密なものでなく、李源潮副主席にように3派閥すべてに属する幹部もいる。また、長く「太子党」を牛耳ってきた曾慶紅元副主席は、江沢民の最側近で、「上?閥」のナンバー2でもあった。」(注1)
曾慶紅(1939ー)は、国家副主席・政治局常務委員を務めた。2007年の第17回党大会で、政治局常務委員を自ら降りる代わりに、習近平を次の国家主席にする確認を勝ち取ったとされている(注2)。
国民党との内戦に勝利した中国共産党は、第一世代、毛沢東が1978年から1997年に死去するまで、最高権力を把握し、皇帝のように君臨していた。
鄧小平は、自らを第2世代といい、江沢民を第3世代の核心、中核とよび、第4世代として、胡錦濤を指名していた。ちなみに、趙紫陽は、第2世代である。
中国共産党の政治局常務委員会は、国家の最高機関で、党、政府のどの機関も常務委員会の決定に逆らえない。
しかし、鄧小平を中心とする政治局委員経験者の「八老」ー鄧小平、陳雲、李先念、彭真、鄧穎超、楊尚昆、薄一波、王震ーに時代、このグループは、よくまとまっていて、常務委員会の決定に拒否権を行使した。しかし1997年に鄧小平が亡くなってから、引退した長老が権力を行使した者はいないと、アンドリュー・ネイサン、ブルース・ギリは述べている。(注3)
宮崎正弘「中国バブル崩壊が始まった」(海竜社・2013年・200頁)は、「鄧小平、陳雲、李先念、彭真、王震、楊尚昆、薄一波」で、鄧穎超でなく、「宋任窮」の8大家族が、中国の財宝を抑えているという。鄧小平の長男鄧樸方は、貿易商社の特典が与えられ、この企業を通さないと多くの輸出入業務ができなかった。王震の息子王軍は、中信集団社長で、金融保険不動産に進出、栄毅仁(1916-2005赤い資本家と呼ばれた。中国国際信託投資公司CITIC創業者、国家副主席(1993-1998))と組んだ。陳雲の娘、彭真の息子、楊尚昆の娘など太子党の主力は政治に興味を持たず多くが国際的なビジネス世界、不動産売買に身を投じているという。
鄧小平時代に、最高幹部たちは家族を含めて、私的な交際が頻繁に行われたことが想像される。
わたしは、この鄧小平の頃、中国共産党の最上層部の者の間で、「革命」に功績ある者の一族が、ある種の「特権」を享受するのは、当然であるという雰囲気が、「八老」のころから、「八老」級の人々およびその子孫からでて、折から、政府機関、その外郭団体への天下りをするようになったと想像する。
矢吹晋によれば、「紅色世代」とは、1949年中国共産党が権力を奪取した時点で、軍において「少將級以上」の地位にあった者をいう。軍属(軍関係という意味かー筆者)でない場合、「省級・部級」幹部であった者は、軍の少将級と同格である。「紅色後代」とは、その子孫である。「紅色後代」は、「紅色貴族」と呼ばれ、改革・開放期に億万長者となり、「紅色権貴」と呼ばれたという。(注4)
陳破空は、中国20年以上在住の外国人の言として「中国の問題とは実はとても簡単なもので、それは500ほどるあの特権ファミリーの問題である。」「500の特権ファミリーには7人あるいは9人の政治局常務委員、25人の政治局委員、205人の中央委員、さらに一世代、二世代前の元老とその家族が含まれている。」「たとえば、江沢民元総書記の家族は電信事業、李鵬元首相の家族は電力事業、温家宝前首相は保険事業、周永康前政治局常務委員の家族は石油事業をそれぞれ国内で独占し、劉雲山政治局常務委員の家族は投資ファンドを喰い漁っている」とする。」(注10)
さきに矢吹晋・高橋博著によれば、1949年当時、軍の「少将以上」の地位にあった者と軍の関係でなくても、「省級・部級」の幹部であった者は、軍の少将級と同格として、これを「紅色世代」といい、その子孫を「紅色後代」というとしたが、紅色後代は、中国全国におよそ4万人いること、北京の核心圏居住者2000人余りいるとする。注11)
丹羽宇一郎(2010年6月から2012年12月まで大使)は、「太子党」と日本人は、とかく分類しがちだが、そういう図式はおかしいという。
「しかし、そうしたレッテル貼りは、日本のメデイアが中国の権力図を説明するのに都合がいいためにやっているだけだ。太子党が会議を開いたとか打ち合わせをしたとか、私は寡聞にして聞いたことがない。そんなことをやれば、すぐにまわりに知れわたる.親同士仲がいいからといって子供もいいとはかぎらず、むしろ逆のケースも多い。何よりそうしたレッテルを貼られた政治家は、ボスが失脚した場合は連座しなければならない。だから中国の政治家は自分の立ち位置をそうたやすく明らかにはしない。中国の権力関係は外から眺めて理解できるほど単純ではない。」(注12)。
丹羽氏のいわれるように、太子党が団結しているとか、会議を広くといったことはないと思う。太子党の場合、暗黙の内に互いに認識していて、機会があれば、相互に援助しあっている関係であると思う。緩やかではあるが、共同意識をもっていると思う。
氏名ー政権要人との関係ー職業を表記する。職業については、時間の経過で、その後、退任したり他の職務に就いていることが多く、すべて正確ではないが記す。
毛沢東が死亡する直前、毛沢東の甥毛遠新(弟毛沢民の長男)が共産党中央指導部との連絡役であった。毛沢東が死亡すると、華国鋒は、江青、張春橋らとともに毛遠新を逮捕した。毛遠新は、17年獄中生活を送り、1993年、釈放された。その後、上?の自動車研究所で働いていたが、2001年、60歳で定年退職した。
1971年(昭和46年)9月8日、中国共産党副主席林彪は、毛沢東暗殺のクーデタに失敗し、妻子と飛行機で逃亡中、墜落死した、と1972年7月28日、中国当局が発表した。林彪の残された親族は、どうなったか、報道されていない。投獄された、あるいは、のち、厚遇されているとの報道に接していない。
傅亮ー彭真(建国時の共産党重鎮)の息子ーレジャー関連企業の代表
劉少奇の長男、劉源は、解放軍総後勤部政治委員、第18期中央委員である。2015年末、退任が報ぜられた。劉少奇の娘劉愛琴(88)のことを産経2015年4月24日が新京報からの記事としてを載せた。
「文革では愛琴さんも『ソ連のスパイ』などと批判を受け、『歯から血が流れ、腰がおかしくなり失禁』するほどの暴行を受けた。留学先のソ連から帰国した兄は線路に身を伏せて自殺。弟は8年間拘束、解放されて数年後に1人暮らしの農家で息を引き取った。」「誰を恨めばいいのか.時代がもたらした悲劇だ。」とのべた。劉源は退任したが、高い地位の役職に就いていない。習近平の力がないからだ、と評されている。
劉少奇の妻、王光美の兄、王光英は、中国人民政治協商会議副主席、「光大実業総公司」の会長。キッシンジャーは、ロックフェラー財閥のチェースマンハッタン銀行顧問、コンサルタント会社「キッシンジャー・アソシエイツ」会長。社長は、イーグルバーガー元国務次官補。スコウクロフトが副社長。総合商社「光大実業総公司」は、クライアントである。青木直人「怒りを超えてもはやお笑い!日本の中国援助・ODA」(祥伝社・2001年)174頁。
鄧小平の子たち(青木直人「怒りを越えてもはやお笑い!日本の中国援助・Q&A」(祥伝社・2001年)115頁)
長女 | 鄧林(1941年生)画家、東方芸術交流協会理事長、中国国際友誼進理事長。 |
夫 | 呉健常(1939年生)、中国有色金属工業総公司社長、中国有色金属進出口総公司会長。呉はODA無償援助の「非鉄金属鉱業試験センター」に関係する。 呉建常は、元全人代代表、中国有色金属鉱業協会名誉会長。2人の子、卓淅は、投資会社会長。 |
長男 | 鄧撲方(1943年生)、中国身体障害者連合会主席。 |
妻 | 髙蘇寧(生年不明)撲方の保険医。 1984年3月、中国身体障害者福利基金会発足し、鄧撲方が代表になり、名誉会長に王震(日中友好協会名誉会長、人民解放軍)。 日本のODAの対象、第二次円借款の対象になっている。青木前掲118頁。 鄧撲方は、康華実業公司(1987年から発展公司に変更)の副会長。 鄧撲方は、肢体障害者リハビリセンター、石臼所港湾建設にも関与。 |
次女 | 鄧楠(1947年生)中国国家科学技術委員会副主任。 |
夫 | 張宏(1947年生)中国科学院科学技術開発局長。 第三次円借款の対象。無償援助である「日中友好環境保全センター」(1990年から5年間で、総計105億円) |
3女 | 鄧榕(1945年生)鄧小平弁公室(事務所)最高責任者、秘書。「わが父・鄧小平」(徳間書店・1994)の著者。国際友好連絡会副理事長。 |
夫 | 賀平(1949年?生) 人民解放軍総参謀装備部部長(少将) |
次男 | 鄧質方(1951年生)四方集団総裁。 |
妻 | 劉小元(1952年?生)高級技術者。 鄧榕は、江沢民から、日本やアメリカの特定人物との癒着を厳しく叱責されたという(青木直人前掲書137頁)。2013年7月28日鄧榕は、家族とともにオーストラリアへ出国との話がある。鄧撲方は、2013年6月、1000億ドルを持って行方不明との情報がある。 |
趙大軍(趙紫陽の長男)海南島開発で名をあげたが、天安門事件で、趙紫陽が監禁されたから時、アメリカへ、弟の趙二軍、趙三軍とともにアメリカへ移住。青木直人「怒りを超えてもはやお笑い!日本の中国援助・ODA」(祥伝社・2001年)138頁。
鄧家貴ー習近平の3番目の姉斉橋橋の夫ー不動産会社を経営、巨万の富を築く。
李克強は、紅二代、太子党でない。実弟、李克明も勉学一筋で、公務員になる。
国家煙草専売局副局長から、2015年2月11日、国有重点大型企業監事会主任に任命された(2015年2月12日日経)。
王之ー王震(元国家副主席)の息子ー中国長城計算機集団公司の元代表取締役
王軍ー王震(元国家副主席)の息子ー金融業・金榜集団の元代表取締役。
中国天然投資控股有限公司を創立。ウルムチ市商業銀行の筆頭株主、
3つの石炭拠点を買収、石炭化学、電力事業に投資、新疆国際会展中心をもつ。
王京京ー王震(元国家副主席)の子王軍の娘ーエネルギー事業・ネット事業を行う。
長男の朱徳水(水が3つ)~アメリカの投資会社クレデイ・スイス・ファースト・ボストン(CSFB)の株式担当副部長。
胡翼時ー胡錦濤前国家主席の従兄弟の子ーデベロッパー企業の会長
ダニエル・マオ(茅道臨)~胡錦濤の娘婿。上?交通大学卒。
温雲松ー温家宝前首相の息子ープライベイト・エクイテイ・ファーム代表
劉春航ー温家宝前首相の娘婿ーコンサルテイングファーム取締役
李小琳ー李鵬元首相の娘ー中国電力国際発展有限公司社長
葉選基ー葉剣英(元人民解放軍元帥)の甥ー香港・国葉集団代表
車峰ー戴相竜(前中国人民銀行総裁)の娘婿ー投資会社代表
粟志軍ー粟裕(元人民解放軍大将)の孫。
方以偉~アジアン・ウイーク社長は、黄菊(2007年没)(上海市長、副首相、中央政治局員)のアメリカ留学中の娘と結婚した。
アジアン・ウイークは、アメリカ、サンフランシスコ中国人社会の有力メデイア。
(河添恵子「豹変した中国人がアメリカをボロボロにした」産経新聞出版・2011年)からも、太子党の名前を挙げた。江青の秘書だった閻長貴の著書「中南海文革内幕」に依拠して、産経新聞2015年4月21日が報じている。青木直人前掲書など。)。
2014年3月発行、福島香織・奥窪優木・飯塚竜二はか?「世界で嫌われる中国」(宝島社)143頁に、13人の太子党の人々が、タックスヘイブンである英領バージニア諸島(BVI)の約10万社の企業預けていることが公表された。企業は殆どペーパーカンパニーで、その顧客の名前のデータベースを作成したのは、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)である。奥窪優木氏は、ここから13人を取り上げている(ただ、このデータベース自体も中国の政争が絡んでいるらしく、江沢民派の人物(江沢民、曾慶紅の息子や周永康の関係者などが一切ないという)。ICIJによれば、BVIだけで、紅色貴族の逃避財産は、1兆ドルという。
万科企業は、深?から生まれた不動産開発大手である。万科企業が宝能投資集団から敵対的買収を仕掛けられ、万科のトップ王石は、防衛策に乗り出した。
万科企業の筆頭株主は、華潤集団であった。華潤集団は、反腐敗で幹部が逮捕され、動けない。保険大手の安邦保険集団(北京市)に応援を依頼したい。安邦保険集団は、アメリカ、マンハッタンのウオルド・アストリア。ニューヨークを買収した会社である。
鄧小平の孫娘の夫が、薫事長である。外相を務めた陳毅の息子、陳小魯も関係している。
万科は、大連万達集団(遼寧省大連)(王健林がトップ)と戦略提携した。
王健林は、習近平の姉夫婦が大連万達株を保有していたことを明言し、習近平と近しいことを匂わせた。鄧小平一族とも近い。
宝能投資集団も深?発祥の企業である。曾慶紅の親族の1人が宝能のトップ姚振華と親交を深めた。買収、被買収の双方に、太子党、紅二代がいる。
パナマの法律事務所モサック・フォンセカから流出した顧客名簿には、現役、引退した最高指導部のメンバーの家族・親族の名前がある。それは、太子党、紅二代でもある。
以上、ニューズウイーク日本版2016年4月19日号32頁。孫向文・サピオ2016年月号20頁。福島香織「現代中国残酷物語」Hanada2016年6月号144頁。
【注1】
近藤大介「対中戦略ー無益な戦争を回避するために」(講談社・2013年)24頁
【注2】
副島隆彦・石平「中国崩壊か繁栄か!?」(李白社・2012年)49頁。
【注3】
アンドリュー・ネイサン、ブルース・ギリ、山田耕介訳「中国権力者たちの身上調 書」13頁、34頁)
【注4】
矢吹晋・高橋博「中共政権の爛熟・腐敗」蒼蒼社・2014年・29頁。
【注5】
矢板明夫「習近平」(文藝春秋・2012年)51頁。
【注6】
茅沢勤「習近平の正体」(小学館・2010年)32頁。
【注7】
崔虎敏「習近平の肖像」(飛鳥新社・2015年)51頁、富坂聰「習近平と中国の終 焉」(角川SSC新書・2013年)89頁。
【注8】
宮崎正弘「中国権力闘争ー共産党3大派閥抗争の今」(文芸社・2012年)217頁。
【注9】
鳥居民「それでも戦争できない中国ー中国共産党が恐れているもの」(草思社・2013年)187頁)。
【注10】
陳破空?山田智美訳「赤い中国の黒い権力者たち」(幻冬舎・2014年)124頁。
【注11】
矢吹晋・高橋博「中共政権の爛熟・腐敗」(蒼蒼社・2014年)29頁、30頁。
【注12】
丹羽宇一郎「中国の大問題」(PHP新書・2014年)43頁。